断片的

こういうことになる

好きな人たちがすきなぼくたち

 

‪自分の好きな人達のことを知れば知るほど、「この人は自分とは真逆の性質を持っている。この人は自分のような人間の事を嫌いだろうなー」となんとなく考えてしまってどうしようもなく悲観的になることがよくある。‬
‪その好きな人達というのは、たいてい自分がわけもわからず本能的に好きだという感情で執着している相手だ。その感情の矛先は身近な人から有名な人にまで様々で。どうして自分には「原因のわからない『好き』」という気持ちがいつもあるのだろうと悩む。自分の世界は「自分と、自分の好きな人・モノと、それ以外」であることを恥ずかしく思う。好意と興味が偏っている自分のことを嘲ると同時に、自分のことを心の底から嫌いにはなれないアンビバレンスに悩む。

自分の好きな人達のイメージは、みんな理性的で、合理的で、冷静で、感情に振り回されることなどほぼないだろうな、などというものだ。別の言葉で簡潔に表すと、私にないものを持っている。ゆえに憧れる。自分の中で憧れの人は好きな人としてカテゴライズされ、結局「好きだから好き」と言うしかなくなる。好きなので「あの人は素晴らしい人間だ。他の人はクソカス。あの人を見習ってほしい。」みたいなことを口にしたくなる。心が荒んでる時はひとりでずっとブツブツ言ってる。「好きな人は素晴らしい人間なのになんでどいつもこいつもバカでアホで気持ち悪いんだ。助けてくれ。」これは受験生で精神が限界の時によく言ってたやつです。

彼らが自分にないものをもっている、ということをふまえて、「好き」だと感じる理由を考えてみる。自分の心の底では、自分とは真逆のその人のことを羨んでいて、自分に無いものを補いたいがゆえにその人に執着してしまうのではないか?というのがそれっぽい解釈だと思う。しかし、限りなくそれっぽいのに腑に落ちない。正直、何が本当のことで何が仮説なのか自分の内面の事ですら分からないので正解がわからない。自分で自分の推測を疑う。本当に自分が自分で理解していることは自分は好きな人達が好きだということ‬のひとつだけしかない。
‪自分に足りないものを持っている人達のことを知ることによって、不完全な自分を補いたい、自分を完璧にしたいと思っているから、その人達のことを理解しようとしている。本当にそれだけ?理解したそのあとは?理解したそのあとは、好きだから、仲良くなりたい、許されたい、近くにいってめちゃくちゃにしたい、掌握したい、最悪の欲が深淵からこちらを覗く。目が合う。破滅じゃん?逃げよう。ただ好きだからということにしてるほうが都合がいい、ぜんぶ自分の理由のない好意が悪いことにした方がまだマシだよ。
‪どうして自分とは逆の性質を持った人のことを好きなのか、どうしてその人たちを偏愛するのか、考えても考えても埒が明かない。自分の好きな人達とは仲良くなれない、ずっと憧れの存在で終わる憧れの存在なのに、仲良くなりたいという思いがあるのもよく分からない。自分の人生がいやだ、自分の好きな人たちの誰かに生まれ変わりたい。自分の感情に対しては敏感だけど、自分の感情の仕組みに対しては鈍感すぎるので、めちゃめちゃ頭が悪い人になってる‬