断片的

こういうことになる

泥舟鈍行死体蹴りを読んだ俺はベニヤ板になった

もしかすると自分ってベニヤ板だったのかもしれない。ふと思い、数秒後にそれが確信に変わった。だってどうしても起き上がれない。横たわってじっとして時間が過ぎていく。頭から変な音がするし耳は不規則に痛い。ベニヤ板。今の俺は、不安定な場所に置いて少し重心を変えれば、今にも割れそうに音を立てて軋むただの汚ねえ板だ。ベニヤ板になってしまったので平面と一体化するか何かしらに立てかけられての自立しかできない。
ふと電球が切れて訪れた視界不良のように、何もかもが急にわからなくなった。それだけじゃない、今まで見ていたものに価値なんてない例えあったとしても汚ねえゴミとか埋まってる砂と同程度だと「信じて疑わなく」なった。無理やり思い込もうとしてるわけじゃない。自分の意思と理性とは関係なく、急に目の前のことが砂になったのだから仕方がない。この前までは大丈夫分かってる理解出来てると思ってたことが急に本当に砂になっちゃって、風に乗って、サーッ。どこいったんだよ。なんもなくなっちゃったじゃん。
とりあえず眠って、起きて、まず家族から言われるであろう小言を想像していてもたってもいられなくなった。先週までは自由な1日の代償だと割り切って我慢できていたちょっとした物言いだ。それにさえ全力で怯え切って全力で回避しようと奔走する。小回り効かないバカの自動車。車に乗って3時間フラフラして海まで行った。帰り道にドラッグストアに2件寄って酒とブロンを別々に買った。それは頭の中のシミュレーションどおりの展開を回避するためだけの無駄なプロセスだった(架空のドラッグストア店員が私がレジに置くその組み合わせを見て怪訝な視線を向けるので)。
家に帰って、買ってきたものを吐きそうになりながら食べて飲んでついでに込み上げたゲロも一緒に飲み込んで。そしたらさ、すごく嫌なことがあった。大切な人がまたインターネットから消えようとしてんの。常日頃存在を危ぶまれてる愛する男および愛する女が死のうとしてるのを見た時が、俺はいちばんどうしようもなくなる。限界を誤魔化すためにバグ技使ったのに世界から追い打ちかけられて私の独り言はだんだん絶叫に近い声になっていった。ただまだこの時はまだもう少し大丈夫と思って笑っていた。この時の自信は薬でバグらせた頭の単なる勘違い。オタク2人と通話繋げて3人で笑ってたよ。笑いながら科白を読み上げるように感情だけ抜け落ちた絶望をつらつら話したよ。そうしてすんなり数時間経って楽しい会合は終わる。毎度お馴染み・ODで全く眠れなくなる体を持て余しながらラジオを流して人間の声に脳を浸らせる。ひとりでにバタつく手足、意味もなく痒い全身、息が苦しい。そうして何時間経ったか、コデインとアルコールが抜けて初めて自分に刺さった毒槍たちの存在に気づく。思い出した。さっきまで俺は毒槍を回避していたのではなく、ダメージをすべて受けつつノックバックなしに動き続けていただけだ。麻痺していた不安と恐怖がだくだく流れて周りに血溜まりを作りはじめる。
思い出した思い出した思い出した思い出した俺は元々「こう」だった。俺の人生は元々「こう」だったのだ!辺りを見回すと暗いところにいる。一時的だろうと忘れすぎるのは良くない。こうなるから。脳裏を駆け巡る脅威に震えて右耳と右側の頭痛に集中する。ふと「毒槍」「死推し」「暁美ほむらさんの美しい生」という単語の羅列を思い出す。ナクヤムパンリエッタ先生の泥舟鈍行死体蹴りを買って読もう。その発想は逃避のためか共感を得るためか自分には分からなかったが、とにかく読む他ない、とうとうこの話を読む時がきたのだと思ってすぐにデータ版を買って読んだ。外は明るくなっていた。
そこには世界があって、今まで失くしていた物を見つけ出したような安堵を覚えた。今まで言語化不可能で空欄になってた脳内辞書のページ(小見出し:脅威・人生・祈り)を急激に埋めてくるような語彙が身につく。毒槍。死推し。暁美ほむらさんの美しい生のその先。落ちてないのに落ちてる。折衷案。味のかたちがする。1日、1時間、1分、1秒、その全てに自分が存在しないよう祈りながら過ごす。ひっそりと今日という単位が終わりますように。何度も読み返して何度も感想を探した。そうして自分の言葉にならない恐怖をさっき覚えたばかりの言葉に置き換えてやりすごすことにした。毒槍。毒槍。死推し、世界中のすべてが死の覚悟を決めるよう迫ってくる。違う。こいつらはここにきて急に現れた敵なんかではない。ちょっと前までは、そう、一昨日とかそれくらいまではまだ何らかの形で反抗できていたんだ。無視とか、反論とか、折衷案とか、俺の頭の中の声は俺の頭の中の声だと理解できていたからどうにかなっていた。それがどうにもならなくなるのは、頭の中の声が幻聴だと判断するための何らかを失った時、あるいはそういう器官が狂った時。頭の中の声は世界の声になっていた。頭の中が世界だった。頭の中の架空の住人は目の前にいた。窓の外を見ると頭の中だけにいたはずの死体が地上めがけて飛び降りているのが見えた。目まぐるしく駆けていくそれらの情報量を限りなく圧縮するため同じ言葉を何回も繰り返し呟く。毒槍。毒槍。毒槍。死推し。愛する男と女に顔向けできない。
そうしているとまた新しい朝がやってきて、新しい恐怖に直面した。学校に行かなければならない。無断欠席、体育祭欠席(どうしてこの歳になってまで体育祭なんかするんですか?と本気で思います。陰キャなので笑)、今日も休んでしまうと、嫌いな怖い先生に欠席が増えていることをさすがに感づかれる。専門学校の最悪なところは内定が決まったあとも毎日クソみたいな授業と出席率のためにせっせと通わなければ、内定が取り消しになってしまうという噂があることだった。這うように今までのやり方を思い出しながらシャワーを浴びて頭を洗う。ふと自分の体を見ていると、変な模様が浮かび上がっていたので「ついに幻覚?」と思ったら身体中にいつもの比じゃないくらいの不透明度で血管が透けて見えてただけだった。だけだったとは言ってもスゲェ気持ち悪い。横になっていたから?それともブロンとフォーナインとかいうマジで全国のトリップを愛する者達憎む者達この世のすべてのメンヘラ関係者に伝われみたいな組み合わせをしたから?そういえば昨日は心臓がうるさかったし脈も異常だった。流しっぱなしになっているテレビから流れるZIP!スパイダーマンの新作の話をしている。「主人公はスパイダーマンとしての自信を失いかけてしまい……」わかる。俺もスパイダーマンとしての自信、失いかけてるよ。泣きそう。化粧は女の理不尽さの象徴。眉毛しか書いてやらねえよバカ。欠席、毒槍、欠席、遅刻、内定取り消し、毒槍、グループワーク、毒槍、欠席、内定取り消し、内定取り消し、内定取り消し、内定取り消し、内定取り消し……?思えばあれは脅し的なニュアンスを多く含んでいる警告だったかもしれない。怖い噂なんかと同じくらい理不尽な与太話。けれど元来世界から理不尽に毒槍で刺されている(と思い込んでいる)自分はこれ以上理不尽な出来事が起きようが起きまいがその違いが分からずただただ毒槍の質量の差に怯えるだけだった。手加減なしの言葉の暴力みたいな言葉を喰らったら、貫かれたら、バキバキに割れてしまう。ベニヤ板だから。
ここには世の中の悲惨な事実をしらないままのうのうと生きてる奴が多すぎる。何も知らないまま死ねると思うな、地獄を見せてやる。こうなるとベニヤ板の呪詛は止まらない。バグった判断力が「お前は正しい」の激甘ジャッジを何回も何回も下して俺を死が破滅かあるいはそれに似た最悪な場所へ導こうとしてくる。電車に乗っている自分以外の人間の声が妙に頭に響いて最悪だった。ベニヤ板が軋む。