断片的

こういうことになる

未曾有の神話に縋っている

私は私として生きていきたくない。祈りに姿を変えたい。私は好きな人に拒絶された。そして私の愛する人は大切な人に幸せにしてもらえていない。こんなに悲しいことがあるなんて、とさめざめと泣いている。まるで世界がそのふたつを中心に構成されているかのように私は泣く。いまの私の世界では本当にそれだけなのだ。ひとえに身を捧げる愚者のうつくしさを本当のことだと思っている。彼に忘れられてしまっても構わない。その代わりに私の愛する人が幸せになってほしい。最近このことばかり考えている。私の考えるその幸せというのは明らかに私の理想の押し付けであり、私欲と感情の横行する世迷言に過ぎない。しかし頭のおかしくなってしまった自分ではこの押し付けがましい祈りを止めることができない。3番目の理性の忠告も今となっては完全なる悪意の横槍にしか思えない。尊大な祈りを恥ずべきなのに、他でもないあの人が再会を願ってやまないでいるから、私も願わずにはいられない。私の愛する人は一人ぼっちで取り残されてしまっていて、昔とくらべて明らかに元気がない。周囲からも折り紙付きだった儚さにも不吉な現実味が帯びてきている。あの人の専心を美しいと思った。おれは、おれの救いがふたりで神話になってほしいと思っている。祈りに思考を蝕まれる時、私はどうしても具合が悪くなって、それはあまりにも地に足の着いていないユートピアじみていて、きちがいを見るような視線が自分に向けられているのではないかと頭を抱える。私の祈りは神聖でもなければ気高くもない。一般的には破滅や退廃と呼ばれるようなものに拘泥っている。見えない何かが私の頭を殴り続けるかのように衝撃がやまない、ふらつく思考で必死に楽しいことを考えた、ふたりが私の見えないところで幸せになっているのだとしたらどんなにいいことか!不可視の神話を信じたい、毒みたいな考えを度数の高い液体で流し込んで酩酊するしかない。もうおれのことは助けなくていいからおれの救いである2人を幸せにしてくれ おれはそれ見て勝手に救われるから